毒親日記

【毒親】幼少期の最古の記憶はパチンコ屋、こんな親になってはいけないお手本のような二人に育てられました。

こんにちは。tama(@tama15964098)です。うちの親っていわゆる毒親なんです。

色々と毒親エピソードがあるので、親が死ぬ前に一度全部吐き出して書いてみたいと思います。

幼少期の最古の記憶はパチンコ屋

幼い頃の親との記憶を呼び起こすと、パチンコ屋で過ごした記憶が蘇ります。たぶんまだ幼稚園にも通っていない頃の話。

2歳年上の姉と、たばこ臭いパチンコ屋のフロアをウロウロしながらパチンコ玉を拾っては親に渡していました。いつも行くパチンコ屋は決まっていて、親は並んで打つのではなくそれぞれ好きな台に各自座って打っていました。パチンコ屋の2階はゲームセンターになっていたのですが、そこの入り口で風船をもらえるんです。私と姉はそこでもらった風船を2段ベッドの天井につけて寝るのを楽しみにしていました。

パチンコ屋に行かない日の我が家は雀荘さながら

両親はパチンコの他に麻雀にも勤しんでいました。父の会社の同僚やその繋がりの知人が麻雀をしにぞろぞろと夜間、家にやってくるのです。

その頃のうちの間取りは2DKで、古い文化住宅のようなところに住んでいました。なので、私たちが寝る部屋と大人たちが麻雀している部屋は襖1枚で隔たれているだけ。

まだ幼稚園児と小学生1年生くらいの私と姉は20時には寝るように促され、襖を閉じられ隣の部屋から聞こえてくるおっさんどもの低くてでかい笑い声や麻雀をかき回すじゃらじゃら音を聞きながら寝ていました。

次の日の朝起きると、タバコの臭いが充満した部屋のテーブルにそのまま置き去りにされている麻雀のシート、麻雀牌、お酒の飲み残し、たばこの吸い殻。

その傍らで両親が横になって寝ています。休みの前の日に朝方まで麻雀をするのが定番となっていたので、両親はそのまま昼過ぎまで起きません。

両親が起きるのを姉と2人で何をして待っていたのか記憶にありませんが、両親が目を覚ますと一緒にインスタントのやきそばを食べ、その後パチンコに出かけるという流れになっていました。

小学校に上がる頃には2人で出かけるようになってしまった

小さい頃は一緒に連れていかれていたパチンコ屋ですが、私が小学校に上がった頃?には私たちを家において2人だけで出かけるようになりました。

私は全く記憶にないのですが、あまりにも出かける両親に嫌気がさした姉が「行かないで!!!」と泣きながら訴えたそうです。

すると、2人は泣いて追いかけてくる姉をわざと置き去りにし、その様子を物陰に隠れて笑いながら見ていたそうです。

それを大人になった私たちにさも家族のほのぼのエピソードのように語る2人の姿に戦慄しました。

小学校高学年になる頃には日付が変わる頃まで帰ってこなくなる

私が小学4年生になる頃、少し広めの団地に引っ越しすることになったのですが、そこにも相変わらず麻雀仲間たちはぞくぞくとやって来ました。

ところがある日、父が勤めていた会社をクビになった(ここにも最低なエピソードがあるのですがそれはまた後日)ことで麻雀仲間と疎遠になったのか、自宅で麻雀が開催されることがパッタリなくなりました。

そして、転職した父の勤務体系に夜勤が加わることになりました。夜勤明けとその翌日、翌々日は休みだったので、夜勤明けの日とその後の2日間の休みは2人で休みを合わせて(母もフルタイムでパートに出ていたので)朝から晩までパチンコ屋に通っていたようです。

パチンコ屋の開店に併せて朝9時頃に家を連れ立って出ていき、帰ってくるのは23時半ごろ。

当然私たちの食事の用意などはなく、私たちが学校に行っている日は帰宅するとテーブルに1000円が置かれていたり、レトルトカレーが置かれていたり、フライパンにチャーハンと思われる炒め物が置かれていたり。それもないときは自分たちのお小遣いで近所のスーパーでお惣菜を買いに行ったり、宅配ピザを注文して食べて、後で親にお金を請求したりしてました。

高校生になる頃には遊ぶ金をせびられるように

私は高校1年生の頃からアルバイトをするようになったのですが、稼いだお金はたまに自分の洋服を買ったりするのに使う程度で、残りはコツコツ自分の口座に貯めてました。

それが10万円を超えたころ、母親から「3万円貸して」と度々言われるようになりました。

それは主に給料日前で、パチンコ屋に行くお金がないときでした。

姉も同様に度々言われていたようです。

本来、お金がないなら家でじっとしてろと言いたいところですが、この頃になると休みの日は両親は夜中まで不在にしているのが当たり前になっていたので、私も姉も家に居られる方が嫌だったんですよねー。じゃま…と思うようになってたのです。なので、お金貸すからさっさと出かけてくれっという気持ちになってました。







よくグレなかったねと言われても当時の自分はよくわからなかった

この話を友だちにすると「よくグレなかったね」と言われます。けど、幼い頃はそんな他の家庭と比較するような機会もないし、ずっとこの環境にいると「こういうものなんだ」と思ってしまって、これがひどい親なのかどうかもわからなかったんです。

なので、それを言ってくる友達にはグレた理由を家庭環境のせいにするのは心が弱い証拠、どんな家庭環境でもグレない人はグレない、と変に悟ったようなことを言ってましたw

中学・高校の頃はさすがに親を白い目で見始めてましたが、それも母親から吹き込まれる父親の悪行をちょくちょく耳にするようになっていたからで、母親に対してはそこまで負の感情を持っていたわけではありませんでした。

このパチンコ三昧の日々も、母親からは「お父さんを1人で行かせると、隠れてたくさんお金を使ってしまうからそうならないようにお母さんが一緒に行って見張っている。」と何なら「お母さんはイヤイヤ付き合わされている」くらいに言っていて、それを聞いた私たちは「やっぱり悪いのはお父さんなんやな…」と思ってしまったんですよねー!

普通に考えると「こんな好き勝手遊び歩いといて、そんな理由あるか!」と即ツッコむべきなのですが、父親が何度も隠れて借金をしていたという話(事実)を聞かされ、そのことで度々大喧嘩をしているところを見ていたので「一人で野放しすると隠れて何をするかわからない父親」という理屈で私も姉も納得しちゃったんですよね。

ちょっとした洗脳状態だったのかも知れないです。

まとめ

とりあえず、高校卒業まではこんな感じで過ごしていたのですが私が短大に入学してからもまだまだこの両親に振り回され続けることになります。

なんか…こんな親になってはいけないというか、どうやったら二人そろってこんな親になれるんだと逆に聞きたいわwと言う感じです。

なろうと思っても中々なれるもんじゃないような。罪悪感とかなかったのかな。なかったんだろうな。

泣いて追いかけてくる我が子の姿を陰で笑ってみてるとか、どんな鬼畜だよ。

仕事に出かけるとかならまだしも、パチンコに出かける二人の背中を「行かないで」と泣いて追いかけたという当時の姉の心境を想像するだけで私は涙が出るんですけどね…

つづく

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